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GAINA LOG

バイトしながら学生やってる人が色んなことを書いていきます。ブログの名前の読み方は「がいなろぐ」。リンクご自由にどうぞ。

ダンバインについて思ったこと

アニメ

聖戦士ダンバインを見終わりました。今回はその感想を書いていきます。(独自解釈ありつつ)

 

・どういう話だったか

ダンバインを駆り、ドレイクの独裁を阻止せんと戦う青年「ショウ・ザマ」。この物語はこのショウ・ザマが自分の「信念」を持つ物語だったように思いました。

 

バイストンウェルに呼び出された当初は、わけも分からずドレイク軍に協力。ところが、マーベルの説得やリムルの思いやチャムとの出会い、同じ軍でありながら対立したトッドとの関係。おそらくショウの中では他者と意見をぶつけたり、違う立場の人間を理解すること自体が初めてだった筈です。実際にマーベルに初めて説得された時はショウはかなり反発していたように、大きな組織の下で取り敢えず身をおいていればいいと自分を殺していたわけです。しかし城攻めで非人道的なことをやったことで「誰かにとってどういう自分であるか」よりも「人としてあるべき自分はどういう自分か」を考えたように見えました。

 

ゼラーナに入ってからは、ショウの捻くれたしゃべり方が変わったように感じました。更にトドメは東京上空。吉祥寺の自宅に飛ばされ、真っ先に会った自分の親が「お前は誰だ」と他人扱い。オーラバトラーという得体の知れないものに乗って、フェラリオという小さな人間と一緒に自分の息子が帰ってきた。そりゃ宇宙人だと思うかもしれませんが、ショウのお母さんがショウが偽者だと言った根拠が「あの子はこんなこと言わない」という外見より思考についての指摘。ショウがそれに不思議がるのも、自覚しずらい内面の成長の描写には巧いポイントだと思いました。

 

戦いや仲間との会話で内面が成長して、自分の信念が固まってきたからこそショウの母が言う「本人でない根拠」が理解できない。更にガラリアのバストールと対峙したときに、ガラリアを説得しようと戦士としての散り方を説くというのも成長してる証拠です。自分の中で他者の考えを理解してるんですから。

 

バイストンウェルへの帰還後のショウの成長は戦争が本格的になる所為で、上手く内面の成長が描けなくなりそうですが、そこをオーラ力の増大というやり方で描ききる。次は人を思うあまり制御ができなくなるほどにオーラ力が強くなるという部分で、更なる内面の成長が描かれます。争いを終わらせるという自分の信念が増大していく。もはや信念が生まれるというより、それを通すほうに考えが行っていたように見えます。最終回では自分の身を投げ出すまでに至るほど、序盤とはまったく別人のようになったショウ。

 

主人公が信念を獲得するまでの物語。それがダンバインの物語だと考えます。

 

・オーラ力のこと

物語を通じて描かれるオーラ力というポイント。そこにも魅力がある作品でした。「オーラりょく」、「オーラパワー」ではなく「オーラちから」と言うのが好きな要素。

 

見始めた当初、オーラ力というのはオーラバトラーを動かすためにパイロットに必要な要素で、コクピットの操縦桿はあくまで補助でしかないと語られていました。新世記エヴァンゲリオンでいうエヴァンゲリオントップをねらえ2!のバスターマシンにも真似られたような「考えをトレースするスーパーロボット」の設定を説明し、裏付けるもののようでした。

 

しかし、物語の後半、ジェリルのレプラカーンの「ハイパー化」がそれを打ち砕きます。それ以前には時空を超えて地上界へ突入できる可能性もある危険な力もあることが明かされており、こういったことからオーラ力には何かがあるようではありました。所がここで増大しすぎたオーラ力は人を惑わせ、オーラバトラーを巨大化させる凶器であると明かされるのです。

 

ショウもマーベルも、この大きなレプラカーンに驚き恐怖する。自分たちがその力でオーラバトラーを動かしているんだと身をもって知るところが、とても衝撃的な部分でした。最終回近くにトッドやバーンがハイパー化し始めたり、ショウのビルバインもハイパー化しかける。こうして人の思念が具現化する恐怖を描くのはこのダンバインだからこそではないでしょうか。元々人の野望の強い思いから始まった戦争だからこそ、人の思念が暴走する争いの怖さがハイパー化に現れていました。

 

実態として存在しない兵器であり、それが人の心を表す鏡でもあるオーラ力と言う要素は中々無いものだと思います。

 

取り敢えずココまで。後で又その2としてまとまった考えを書ければなと思います。